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介護の森で見つけた光⑦ 『延命考 ―原発と里山と介護と―』 

中川 春彦


 先日、広島に旅行に行ってきました。とても楽しい旅行だったのですが、色んなことを考えさせられる旅にもなりました。今回は広島で考えたことを色々と書いてみたいと思います。

 

広島駅から路面電車に乗って辿り着いた原爆ドームと平和記念資料館。

とても静かな空間が広がっていました。69年前に1発の爆弾がもたらしたこの世の地獄。廃墟と化した街。

放射能がばらまかれたであろう平和記念公園の周りには、(様々なモニュメントが配置されてはいますが)そんな過去の凄惨な出来事を感じさせない、復興をとっくに遂げた普通の街が広がっていました。

 

1945.8.6ヒロシマ → 2011.3.11フクシマ。

「原爆」と「原発」。

「核兵器」と「核の平和利用」。

 

3.11以降、少なくない人がそうしたように、私も何かに駆り立てられるように、原発関連の書物を多く読みました。

多くの本の中で書かれているように、日本の原発の置かれている状況は極めて危険だと思います。いくつか例を挙げると、

・巨大地震を発生させるプレート境界型地震が、4つのプレートの境界に位置している日本では、地球史的に見ると頻発していること。(世界の巨大地震の多くが日本に集中している)それによって巨大な津波もセットで襲ってくること。海岸線に全ての原発が建設されている日本では、確実にそれによって大打撃を受けること。

・日本の国土と周囲の海の下には無数の活断層があり、直下型地震もいつ起こるか分からないこと。

・(地球史的にはほんの)3000年前まで日本の海岸線上の土地は海の底だったこと。よって強固な地盤なんてものは日本の海岸線には存在せず、脆弱な地盤の上に全ての原発が建設されていること。

・原発をたくさん作ることが第一で、それらのリスクを過小評価し続けてきたこと。

・『福島原発の闇 原発下請け労働者の現実』(堀江邦夫=文、水木しげる=絵 朝日新聞出版)などで明らかにされたように、原発の安全管理体制の杜撰(ずさん)さ、下請け労働者の労働環境の悪さ、大小の事故の隠ぺい体質。

・勉強をしてみて改めて知る放射能の恐ろしさ。広範囲に及ぶ被害の大きさ。(『終りのない惨劇 チェルノブイリの教訓から』(ミシェル・フェルネクス著 緑風出版)や広瀬隆氏の一連の著書『福島原発メルトダウン』(朝日新書)などに詳しい)

・日本の国土の狭さと人口密集度の高さ。日本の海岸線を埋め尽くす50基を超える原発。

・数万年経っても放射能を出し続ける核のゴミ(使用済核燃料)の保管場所が日本にはもうない。(数年でいっぱいになる) 核のゴミをリサイクルできるとされる青森県の六ケ所村の再処理工場は事故ばかり起こして稼働できない。(できても再処理する過程で、高レベル放射性廃液を新たに生成し、新たな問題を生む)

 

日本にある原発で絶対に安全なんて言えるものは1つもなく、現実に福島第一原発がメルトダウン(炉心溶解)にまで至っている。(世界に放射能がばらまかれたということです)

節電を実現するエネファームなどの新技術も普及しつつあり、それに地域特性に合わせた再生可能な自然エネルギー(太陽光、地熱、波力、風力、バイオマスなど)を微力ではあっても付け加えれば、今後原発ゼロでも大きな問題は起こらないとも言われています。(火力発電と水力発電だけでも、1年のほとんどの時期に電力は現実余ってもいる)

加えて核のゴミをこれ以上出せないのだから、原発の即時全停止・廃炉は自明のことであるように思うのですが、日本の報道を見ている限り、そのようには進んでいない。総理大臣が再稼働に積極的な発言までしている。

なぜなのか?私はそのことがずっと疑問でした。そして、勉強すればするほどその思いは強くなるばかりでした。

 

一体政府と電力会社は何を考えているのだろう?

原発を止めると電気料金が上がる?経済が停滞する?何を言っているんだ?

秤にかける2つのものがまるで釣り合いが取れていない。

電気料金と値上げと数万、数十万、数百万の人の甚大な健康被害。

一時の経済の停滞と広大な土地に人が住めなくなる(故郷を失う)という現実。

そして、全国規模の食糧汚染危機。

 

原発を止めるために、(中には私が生まれる前から)活動している人たちがたくさんいる、ということも勉強していて初めて知りました。

学者や医者も含めてそのような人たちがたくさんいるにもかかわらず、なぜ止められなかったのか。そして、事故後もなぜ止まらないのか。(現在は定期点検後に再稼働が許可されておらず、稼働している原発はゼロだが、津波対策の防潮堤などの基準をクリアすれば再稼働する予定)

ずっと頭の片隅に澱(おり)のように溜まっていた小さな思考の塊が、広島のかの地であるアイデアが生まれ、疑問を解くカギを発見したかのような感覚を覚えました。

あるアイデア、仮説。

 

原発の燃料であるウラン(の原子)は中性子線を受けると2つや3つに割れる(分裂する)。そこで、猛烈な熱とともに、新たに小さな原子が誕生する。事故後よく耳にした「ヨウ素131」や「セシウム137」「ストロンチウム90」などがそう。その中に、プルトニウムも含まれる。それらは放射能を発する。放射能は遺伝子に作用する。

自然界に存在する天然ウランの99%以上はウラン238という核分裂を起こしにくい物質であり、核分裂を起こすウラン235は1%にも満たない。天然ウランはそのままでは燃えない燃料であり、エネルギーとして使用するための核燃料にするためには、原発で3~5%、核爆弾で80~90%までウラン235の濃度を上げなければいけない。この工程を「濃縮」という。

原爆の原料には大きく濃縮ウランとプルトニウムがある。

広島原爆はウラン型、長崎原爆はプルトニウム型。

濃縮ウランを日本が自前で製造するのは難しい。でも、原発を稼働している限り、プルトニウムは自然に生成される。その気になれば、日本の技術力を持ってすれば、プルトニウム型の原爆製造はいつでも可能――。

 

日本の国土の一部と多くの日本人の健康を天秤にかけて、なお釣り合うものがあるとすれば、それは国防しかないのではないか。

周辺の核保有国からの侵略を受けないために(核爆弾の雨を降らさせないために)、潜在的な核保有国(核兵器は持たないが、いつでも持てる)であり続ける。そこに抑止力が働き、簡単には侵略できない目に見えないバリアが形成される。そのために、大小様々な事故を起こしても、原発反対派をはねつけ続ける。メルトダウンまでしているのに、再稼働を進めようとする。

正気を失って狂気に走ったかに思えた政府の動向に、唯一見つけた理解への糸口。

安倍総理の、(戦争放棄を謳った)憲法9条を含めた憲法改正論議や、秘密保護法案の強引な可決も、ひょっとすると…。

 

広島から帰ってある本を読んでいると、こんなことが書かれていました。

「岸(岸信介:安倍総理のおじいちゃん)は総理就任後初の訪米を1か月半後に控えた1957年5月7日、参議院内閣委員会で次のような自衛核武装合憲論を展開している。

 

○秋山長造君 私は核兵器と憲法の問題についてごく率直にお尋ねをいたします。まず第一にお尋ねしたいことは、一体日本の自衛隊が核兵器を持つということは日本の憲法に違反するものである、こう私考えるのですが、総理大臣の御見解を伺いたい。

○岸信介君 核兵器という言葉で用いられている各種の兵器を、(中略)名前が核兵器であればそれが憲法違反だ、秋山委員のお考えはそういうふうなようでありますが、そういう性質のものじゃないのじゃないか。(中略)やはり憲法の精神は自衛ということであり、その自衛権の内容を持つ一つの力を備えていくというのが、今のわれわれの憲法解釈上それが当然できることである。(中略)いつまでも竹やりで自衛するという性格のものではなかろう。(後略)

 

岸はこのあとも、国会で同じような自衛核武装合憲論を展開している。なぜ、岸がこの時期に自衛核武装合憲論を主張したのかといえば、それは彼の訪米の目的が日米安全保障条約改定の筋道をつけることだったからだろう。

サンフランシスコ講和条約と同時に結んだ日米安全保障条約は、幕末の不平等条約にまさるとも劣らない日本にとって不利な条約だった。この条約では、アメリカ軍は日本を防衛する義務を負わないにもかかわらず、日本のどこにでも駐留でき、核兵器の持ち込みに際してもなんら制限されなかった。しかも、この条約は期限がなく、日本の側からは破棄できないものだった。

岸はこれを日本にとって平等なものに改定するつもりだった。」

 

「原爆を落とされ、国土を占領され、自らも巣鴨で虜囚(刑務所に入れられる)の辱(はずかし)めを受けた正力(正力松太郎:読売新聞社主にして日本テレビ社長、初代原子力委員長)や岸の思いは同じだったのだろう。いつの日か、日本も原爆を手に入れ、何らかの形で、アメリカに一矢報いたい。

彼らは原爆を手に入れることはできなかったが、将来それにつながるものを手に入れた。」

(『原発と原爆「日・米・英」核武装の暗闘』有馬哲夫 文春新書)

 

孫である安倍総理が自分のおじいちゃんであり、先輩総理の岸の政策や業績の勉強は当然していると考えられます。核が強力な外交カードになることを安倍総理も十分理解しているでしょう。実際、岸はこのカードを用いることで、日米の関係改善を実現しています。

おじいちゃんが命がけで勝ち取った新たな日米の関係。安倍首相はそう簡単には核のカードを手放すわけにはいかない。秘密保護法案を傘に秘密裏に核武装を進める、非核3原則(核兵器をもたず、つくらず、もちこませず)があるので、もちろん表立ってそれはできない。国民にも説明はできない。

しかし、できないからと言って、いつまでもアメリカにおんぶに抱っこでは今後の日本の安全は保障できない。アメリカからの自立を達成する上でも、核武装の布石として憲法は改正しておく。もちろん、日本から他国に侵略することはしない。持っていても使わないにこしたことはない。将来、本当に世界に平和が訪れ、核が必要なくなった時、全てを説明しよう。自分が生きている間には無理かもしれない。でも、それまでは秘密は守らなければいけない。

核を持つ国、持たない国。圧倒的な力を持つものは、力を持たないものに、特に残虐的なまでに強気な振る舞いに出る。人間とはそのような生き物だ。相手に残虐性を発揮させないためにも、持てる力は持っておく。それが安心につながる。でも、力を持つことで不安を覚える人もいる。だから、今は言えない。すまない、日本国民。私は一国の総理なのだ。悪いようにはしない。私に任せてくれ。

 

と安倍総理が考えているかどうかは分かりませんが、そこまで考えを巡らさなければ、日本の現在の原発政策が一向に理解できませんでした。(もちろんこれは私の妄想ですので、真に受けないで下さい。)

 

「安心・安全とはテマとカネがかかるもの(それも一見無駄に思えるテマとカネが)」

原発を勉強していて分かったことの一つです。

東京電力をはじめとする各電力会社は、そのテマとカネを省き続けた。安全性を過大評価し、コストを最小限に見積る、という2重の過ちを犯し続け、それが確実に今回の福島の事故につながっている。

この重大事故を教訓として、介護事業所にも生かすべきことが何かあるはずだ。

私はそう思いました。

  


今回の文章で、元々私は終末期ケアのことを書こうと思っていました。

先日も一人の女性の入居者(Yさん)が亡くなったのですが、私はつくづく思いました。

「自然な看取りは難しくない」と。

ラヴィータでは、(今までの文章でも書いたことがありますが)できるかぎり自然な形で看取ることを目標にしています。胃ろうや人工呼吸器など特別な延命処置をすることなく、生活の場で天寿をまっとうする支援をさせて頂く。そのために、私たちがすることと言えば、

「寂しい思いをさせないように、意識してたくさん居室を訪れ、関わりを持つ。

体調が良さそうであれば起きてフロアーにも出て、交流を持てるようにする。天候が良ければ外気浴も。

食事(と水分)は、食べたいものを食べたい時に食べたいだけ摂って頂く。決して無理はしない。

食事を摂れても摂れなくても口の中は菌が繁殖しがちで不潔になりがち。乾燥もしやすい。こまめな清潔保持と保湿に努める。

肌も乾燥しがちだし、床づれもできやすい。保湿ケアと体位交換をしっかり。安楽なポジショニングにも気を付けて。」

それぐらい。後はその人自身が体の中を整理し始めます。そして最期は、飢餓と脱水と酸欠状態が、脳内にモルヒネ様物質を分泌させ、気持ちの良い状態での旅立ちを支援してくれる。

 

なので、わざわざ長文にして「よい看取りケア、終末期ケアを実現するには」を論じることもないかな、と。

先に紹介したYさんの例で言えば、食事量がだんだんと減っていき、最後の数日は外見的には骨と皮だけ、といった感じでした。不安がるスタッフもいましたが、私は

「いい経過をたどっている。このままいけば苦しまずに亡くなることができる。」

と言い続けました。

予想通り、(立ち会うことはできませんでしたが)最期は眠るように旅立たれたとのことでした。

亡くなって数時間して出勤し、ご家族に今までのエピソードなんかを伝えつつお話をさせて頂き、ご家族にとっても満足のいく最期であったことを確認することができました。

 

亡くなって数日経ってから、一人のスタッフがこんなことを言いました。

「なんで今回は全然SPO₂を測らなかったの?」

私はハッとして、そして笑ってしまいました。

SPO₂というのは、「動脈血酸素飽和度」のことを言います。血液中の酸素の大半は赤血球の中にあるヘモグロビンによって運ばれますが、飽和とは最大限の状態を表すので、血液中のヘモグロビンのうち、最高の状態に比べて、実際に酸素を運べているヘモグロビンの比率を%で表した数値、ということになります。生命活動に欠かせない、ヘモグロビンの活動状況(有効稼働率)を知る指標といったところでしょうか。100%が理想で、95%以上であれば安心とされています。経験的に70%を下回ると、「もう間もなく」ということが分かりますが、今回は「いつ亡くなっても大丈夫だよ」という気持ちでいたからか、SPO₂を測らなければという意識そのものがありませんでした。

「そういえば1回も測らなかったね」

そう言って一緒に笑いました。

 

唯一、終末期ケアで難しいことがあるとすれば、

「ご家族が身内の死を受け入れることができるか」

ということだと思います。けれど、難しいのも致し方ない。

看取りの同意書にサインして頂き、通常のケアプランから看取りのケアプランに切り替える際、入居者が「もういつ亡くなってもおかしくない」と医師をはじめとして我々が判断するのは、ご家族がそうと思えるより、少なからず早いから。

我々は経験的に、この状態は「もう危ない」ということが分かります。もちろん外れることはあって、食事がほとんど食べれず、危ないと判断したけれど、また元気になって復活した、ということはあるのですが、「まだ大丈夫」と判断し続けて、ご家族が全く心の準備ができないままに亡くなってしまうことを考えると、早めの対応をせざるを得ない、ということがあります。

そして、復活したとしても一度そういう状態になった方は、再び状態が悪化することが多いことを考えれば、早い段階から話し合いを重ねることには意味があります。

状態の浮き沈みを経験し、ご家族にも食事介助をして頂くことで、「これは確かに」と徐々に受け入れる心が形成され、一緒に終末期ケアを行える体制が整っていきます。

中には「まだそんな段階ではない。できることはまだあるはず。」と医療に頼ろうとする方もおられますが、それはその方の判断であるから、無理に私たちがその判断をねじ曲げるということはしません。私たちは、本人とご家族の満足度が上がるお手伝いをするだけです。

 

このように、終末期ケアは多くのケースで基本難しいことはないのですが、その前段階として、整えるべきことがあるな、という話を最後にしようと思います。介護事業所の安心・安全

にもテマとカネがいる、という話です。

 まずは、カネの話。

 お金をかけて立派な建て物を建てなさい。という話ではもちろんありません。ハードも大切ですが、私がここでしたいのは、適正な人員配置の話。

 特養ホームを初めとする多くの入居施設では、「3:1」のルールがあります。入居者の数に対して、直接処遇職員(直接入居者のお世話をする人=介護職+看護職員)が3:1の割合で必要、ということで、ラヴィータで言えば、80名入居、ショートステイ8名ですから、合わせて88名。ざっくり90名とすると、常勤換算(1日8時間労働×ひと月21日勤務=月168時間)で30名の直接処遇職員(パートスタッフを含んで、168時間×30人=5040時間)が必要ということ。

これは最低限のボーダーラインであり、とてもそんな配置ではいい介護はできないと、最初から手厚い体制ではあったのですが、「この時間はこの人員ではダメだ」と少しずつ配置を厚くし、現在は2:1ほどの配置になっています。

「ダメだ」と私が判断した根拠は、朝食時と就寝介助時のバタバタでした。バタバタするだけならともかく、日々イライラ・ピリピリが充満する空間が広がっていました。7人、8人と食事介助が必要な人がいるのに、スタッフは3人だけ。そのうちトイレに行きたい人が出てきて一人いなくなり、薬を服用してもらうために一人が動き始める。ゆっくり食事を食べてもらう、まして自立支援でゆっくり何とか自分で食べるのを待っているなんてことは、とてもできなくて「さっさと食べさせろよ」という無言の圧力を感じ始める。食後の排泄ケア、就寝介助もまるで戦場のような目まぐるしさ。

「これではいい介護どころか、入居者の安全を確保できない。」

一方で多すぎるくらい人がいる時間帯がある。うまく人を配置し直し、足りない時間帯はパートスタッフを補充する。現在の人員配置はそのようにして出来上がりました。問題がそれで全て解消したわけではありませんが、それだけで、かなりのイライラ・ピリピリはなくなりました。体調不良などによる突然のスタッフの欠員にも対応しやすくなりました。

もちろん人を多く配置した結果、余分なカネが要ります。これを必要な経費と見るか、無駄な出費と見るかは意見が分かれるところだとは思いますが、私は人を育てるという観点からも、少し余裕のある人員配置は必要だと考えています。(入居者の重度化がどんどん進む特養ホームで3:1は配置が明らかに薄すぎる!)

これは、物理の問題です。安全性を確保するために、必要なものを揃えるにはカネがいる。当然のことです。これくらいの対策で十分だろう、とリスクを低く見積り続けた結果、「想定外の巨大地震とそれに伴う巨大な津波が原発を襲い」福島第一原発は世界史に残る重大事故を起こしました。経営を圧迫するほどのカネをかけることはできませんが、安全性を高めるために最大限の努力をすることは企業や事業所にもっとも求められることだろうと思います。

 

次に考えたいのは心理の問題。何にテマをかけるか、という話。

人を育てる。

これ以上大切なテマのかけどころはないと私は思っていますが、私には理想とする人の育て方があります。

それは、

「育てた相手が指導されたという感覚を持たないままに成長を遂げている」というもの。

私がまさにそうですが、人は「成長したい」「育ててもらいたい」という思いを持っている一方で、「気に食わない人間から指導されたくない」という思いも同時に持っていると思います。

だいたいまだまだ半人前の自分が人の指導なんかできるわけない、という思いもあります。

周りのスタッフから刺激を受けることもまだまだたくさんあります。「すごいなぁ」って。

でも、それでいいと私は思っています。人の指導というのは、一方通行のものではありえないと思っているから。何かを教えようとしていないのに、むしろ教えようとしていないからこそ、素晴らしい取り組みに対して、人はそこから多くのものを学ぼうとする。

逆にどんな素晴らしい取り組みも、押しつけがましさを感じると、人は(というか私は)拒否反応を示してしまう。作用を及ぼそうとするものに対する否定的な心の反応。それを考える時、人に作用を全く及ぼそうとしていない(ように感じる)のに、私の心を鷲摑みにしてしまう取り組みに対して、私は畏敬の念と感動を覚えずにはいられない。

人を変えようとすると人は変わらない。自分が心から楽しみ、相手を尊重する姿勢を崩さない。そうすることで人が喜んでついてくる。一緒に介護を楽しんでいると、気づくとお互いに刺激を与えながら、ともに成長を遂げている。

それが、私の理想の人の育て方であり、自分の成長の仕方。

このよく分からない成長理論を実現するためにテマを惜しまないこと。私にとってそれは本当に大切なことです。

 

堀江邦夫が「原発ジプシー」と呼んだ、原発下請け労働者の労働環境は本当にひどいものでした。自身の記者としての身分を明かさないまま原発労働に従事した堀江は、安全管理がまるでなされていない(炉心に近い)高線量エリアでの体験などをルポという形で報告していますが、その中で告発していたのは、人を人として扱わない「使い捨て労働」の実態でした。

介護労働がそのような環境に至らないように、また安心・安全が少しでも向上するように、温かい人がたくさん育つように、そしてよい終末期ケアを実践するために、以上のようなカネとテマをかける必要がある、ということを私は声を大にして訴えたいと思います。それが、継続可能な事業運営を可能にする、とも。

 

最後に、これからの日本のエネルギーと介護を考えるうえで、非常に多くの示唆を含む本を紹介して本稿を終えたいと思います。

藻谷浩介とNHK広島取材班が共同執筆した『里山資本主義』という本。

マネー資本主義の象徴とも言える原発と対比させて、一度は放棄され忘れ去られていた里山を資本とし、里山の価値を再創造していく、現実に立脚した立場からの筆致は秀逸としか言いようがありません。

明るい2060年の日本を感じられる名著。ぜひご一読を!

 

 

PS. 朝日新聞1月27日~29日の朝刊で、「原発利権を追う」という記事が掲載されおり、その中で、政治資金規正法(政治献金した者の住所、氏名を収支報告書に記載することを義務付けている)の法の抜け道、つまり20万円以下の献金については記載義務がない、を利用し、表に出ない20万円以下の献金を、電力会社が経済再生相である甘利明氏などに続けていたことが明らかにされた。

赤字を出さないために、安く電力を作る原発を止めたくない電力会社。電力業界の様々な許認可を握る経済産業省官僚。官僚の人事権を握り、電力会社からお金を受け取り続けてきた政治家。

結局、原発再稼働はカネの問題だったということか。くだらない。実にくだらない。




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