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介護の森で見つけた光D 『小さきものの偉大なる力』 

中川 春彦

 人とのご縁が重なって三重県の赤目という土地で農業を始めることになりました。

川口由一(よしかず)という人が主宰している「赤目自然農塾」なるものに参加し始めたのが今年の3月。知り合いの方が借りている畑(塾生になると無料で畑を貸し出してくれる)に月1、2回のペースで同行させてもらい、共同でニンジンやトウモロコシを植えて、少しの手入れをしつつ成長を見守っているのですが、それが何とも言えず楽しい。
 芽が出て二葉に分かれ、その後もすくすく育ち、ニンジンは間もなく収穫を迎えようとしています。

 使う道具はカマ、クワ、スコップの3つだけ。野菜たちの家となる畝作りから始めて、土を耕すことをせずに種を植え(川口さんは「種を降ろす」と表現する)、水やりもせず、雑草も必要以上は取り除かず、それでもすくすく育つ野菜たちが愛おしくてたまらない。

 山の中の大自然の中で、土や野菜たちと向き合う時間は、都会の生活の中では決して味わうことのできない、ある意味とても贅沢な時間だと感じています。



「自然農」というのは聞き慣れない言葉かもしれません。私自身聞いたことがありませんでした。「有機農法」や「オーガニック」なら聞いたことがある人も多いと思います。

農薬や化学肥料を使わないという点は同じですが(厳密に言うと有機農法では30種類の農薬(化学合成農薬を含む)は使用可能とされています)、自然農では有機肥料(動物の糞や植物由来の肥料)も基本的には使わない、という所に大きな違いがあります。土地に栄養分が足りない時に、補助的・一時的に少量用いることはあっても、その土地にとっては有機肥料でさえ異物であり、量が多くなると不自然であり土地に害を及ぼす、という観点からです。


 川口さんの提唱する自然農には3大原則があります。それは、

 @「耕さない」

 A「持ち込まない」

 B「草や虫を敵としない」 の3つです。

 私もまだ分からないことばかりなのですが、分かる範囲で簡単に解説してみたいと思います。(説明がおかしければもちろん私の責任です。)


 一つ目の原則である「耕さない」は、草が生い茂る豊かな自然界の土壌は、そのままですでに完全にバランスが取れており、その土地を耕すことは、その土地に棲息する動植物や微生物の営み、またその亡骸(なきがら)が積み重なった層を破壊することを意味し、それはやってはいけないしやる必要がない、として初めに戒めています。

 耕した土地は柔らかくなります。土の密度が下がり、長時間水を蓄える力が弱くなるために、土が乾燥しやすく、作物の生長のためにはたくさんの水が必要になります。また、土を掘り起こし、植物の根を完全に取り去ることで、豊穣の土地を形成するのに欠かせない微生物の営みも同時に壊してしまうため、たくさんの栄養が新たに必要となります。耕すほどに不毛の大地と化し、耕さないことで豊かな大地の力をそのまま借りることができる、川口さんはそう言います。

 二つ目の原則の「持ち込まない」は、耕さず、自然に任せておけば、土はやがて豊かになる、人間が何かをそこに持ち込むとそのバランスを崩してしまう、ということを意味し、その何かとは、先程も少し触れた農薬や化学肥料、有機肥料を指します。自然農で育てた作物は土地に蓄えられた少ない栄養と水分を効率よく利用してたくましく育ち、多すぎる栄養と水分は逆に作物を弱くしてしまいます。

 ただし、作物や草の姿が弱々しく、地力が弱そうな所には、野菜のクズや周囲のあぜ草、米ぬかや小麦のふすま、菜種の油かすをまきます。その際、大切なことは絶対に土中に埋めないこと。野菜クズは細かく刻んで、米ぬかは油かすや小麦のふすまと混ぜて、作物の近くに(土の上から)まくとよい、と川口さんは言っています。

 三つ目の原則「草や虫を敵としない」は、雑草や虫がいるのが自然界では当たり前であるのに、作物に害を与えるということで敵対視し、除草剤や殺虫剤などの農薬でそれらを一掃しようとすると、自然界のバランスが崩れ、その土地が持つ本来の力も奪うことになってしまう。必要以上に敵対視しなくても、共存することはできる、ということを意味します。

 雑草(という呼び名も草たちに失礼ですが)は、確かに作物が大きく育つまでは、太陽の光が作物に届きづらくなるし、栄養分も行き渡りにくくなるので、ある程度手入れをして刈り取る必要がありますが、作物以外の草を根こそぎ取り去ることは、その土地を豊かにしている草の根に蓄えられた水分や養分まで奪うことになり、必要以上の水分と栄養が別で必要になってきます。作物に甚大な被害を与える虫の発生も、肥料を与えすぎたり、雑草を全て取り除くから、大量に発生して作物に集中して群がるのであり、自然農を実践していれば、そのような虫の被害もほとんどないと言います。


  これらが、自然農の基本なのですが、私が育てた目の前の野菜たちがそれらが嘘でないことを証明してくれているように感じます。(今年はカラ梅雨で雨が降らず、30度以上の真夏日が続いたので、6月中旬に畑に行った時はさすがに土がカラカラで心配しましたが、下旬に入って雨が降り始めて安心しています。)


 そして、これらの原則は介護にも通じるところがあるな、と最近感じ始めています。どういうことかを以下説明したいと思います。




 一般的な野菜栽培では、必ず「土を耕す」作業をまず行います。なぜ耕すのかという問いに対しては、土を柔らかくすることで、植物が根を深く張りやすくなるから、また、土の密度が減少することで空気や水・養分(肥料)を取り込みやすくなり、そのことがさらに植物の成長を促すから、という解答が用意されています。

 植物のことを思い、土を耕し、成長しやすい環境を整え、水と肥料をたっぷり施し、成長を阻害する雑草や害虫を農薬をばらまいて根こそぎ取り除く。そうやって成長し収穫された農作物は、不思議なほどきれいに形がそろっています。

 農家の方々を重労働から解放し、収入を安定させるのに、これらの農法は画期的なものだったと思います。日本の食糧事情を改善するのに果たした役割も計り知れないと思います。けれど、このことが私には何かを暗示しているように思えてならなくなりました。

 今までの生活環境や生活習慣を考慮せずに、このような環境を整えればお年寄りが生活をしやすくなる(お年寄りの生活を管理しやすくなる)はずだ、という思いの下、大型収容施設は生まれ、その時々の時代のニーズに応えながら様々な形に(規模の縮小も含め)変貌を遂げてきました。

 管理を優先に考える施設では、事故や病気、時には死をも恐れて敵対視し、それらを遠ざけようと躍起になってきました。

 事故ばかり起こすお年寄りは、安全を優先するために体を縛られ拘束されました。

 体や精神の不調を来たしてばかりいるお年寄りには、本人の訴えや検査結果を考慮し、基準値(正常)から外れる度に薬を処方され、体内をほとんど薬漬けにされました。(しかも「正常」とされる基準値は年々その幅を狭くされています。)

 食事がなかなか摂れなくなり、生命の存続が危ぶまれると、その人のその時に本当に必要とされる栄養や水分の量、質を考慮されることなく、その時に体内に送りこめる最大限の「量」を投与しようとしてきました。(口から食べられなくなっても、胃ろうなどで直接体内へ栄養を送り込む秘技を生み出し、問題を解決しようとしてきました)

 大規模農業のように、(水と肥料と薬を使って)きれいに形の整った、管理しやすいお年寄りが大量生産されている、そんなイメージが徐々に頭の中で像を結び始めたのでした。


 もちろんお年寄りは人であり、野菜とは違って、目があり、口があり、手があり、足があります。介護する側の勝手なイメージで環境を整えられるのをよしとしない場合は、目で訴え、口で罵り、手が出、足が出てきます。強烈な精神薬投与か、身動きの取れないほどの身体拘束でもしない限り、管理しやすい環境など結局は作れない、ということが分かります。では私たちは何を求めるべきなのでしょうか?


 管理しやすい環境を求めながら、管理なんてとてもできないと目の前の現実を嘆きながら、一方で管理から解放された、あるがままの世界を人は心の片隅で夢想します。自分の思い通りに世界を変えようとして、いつも人は人と衝突ばかり繰り返しています。それが人間、と言うこともできます。ただ、争いばかりではいつまで経っても心の平安は訪れず、精も根も尽き果て、明日への活力が枯渇してしまいます。


 大切なのは、自分が正しいと思ったことを軌道修正しながらやり通すこと。ただし人は変えようとせずに。

 川口さんも、(『奇跡のリンゴ』で有名な、自然栽培の方法を世界で指導している)木村秋則さんも、自らの農法を確立するまでは、様々な偏見と闘ったと言います。木村さんなんかは、10年結果が出ず、自殺までしようとした。けれど、人の思いだけではどうすることもできない現実を受け入れ、自然と闘うことをやめ、自然にゆだねる度量を自ら育むことで、野菜たちが応えてくれた。人に何かを教えるためにやったことではないのに、真剣に野菜や土と向き合った結果として、今では何百・何千という人たちが教えを乞いに世界中から足を運ぶまでになっています。


 お年寄りの生活を完全に管理することなど私たちにはできません。では、私たちはただ手をこまねいて、見ているだけしかできないのでしょうか?

 先に挙げた木村さんは、「自然栽培は放任とは違う」と言います。

 『肥料を全く施さず、農薬も一切使わず、雑草がぼうぼうな畑というと、

 「放任栽培?」

 「放置栽培?」

 と勘違いされることがありますが、自然栽培はもちろん「放ったらかし栽培」ではありません。

  いままで肥料・農薬・除草剤を与えて過保護にしてきた畑を、いきなり何もしないで放っておけば、もちろん問題が出ます。果樹や農作物の生長は遅れ、病気や虫の被害を受けます。それは当たり前。

 やめる代わりに、2つのことが必要です。

@    土を育てること

A    作物の能力を引き出すこと

それが肥料・農薬・除草剤の代わりになります。そのためには人間の働きかけが必要です。(中略)「目が農薬」で「手が肥料」といわれる所以です。』 
                 (『百姓が地球を救う』(東邦出版)木村秋則)


 胃ろうなどに安易に頼らず、咀嚼・嚥下状態や表情を目で見ながら、適切な食事形態・食べるペースや一口量、何が好きでどれくらいの量までおいしく食べられるのかを見極め、一口一口きちんと手を使って食事介助をする。

 ちょっとした変化を見逃さず、必要としている時にしっかりと関わりの時間を持ったり、外の空気を吸う機会を作ったり、横になって休む時間を作ったりして、大きく心身の調子を崩すのを未然に防ぐ。

 そんな私たちの目と手を使った関わりが、必要のない(体への負担が大きくなりすぎる)栄養や薬を減らす手助けにもなるのだと木村さんは教えてくれているように私には感じられました。


 高齢者介護における「土」に相当するのは、建物や浴室、トイレ、椅子、テーブルなどハード面ももちろん大切ですが、それ以上に大切なのは、やはり「人」でしょう。ラヴィータにはお年寄りの力を引き出す天才がたくさんいます。

 見つめるだけで入居者を恋する乙女の表情に変えてしまう男性スタッフN。

 体操やレクリエーションで頭と体を目一杯使わせ、「あ・い・う・え・お」としっかり一文字ずつ発音させるだけで入居者に笑顔と自信を取り戻させる女性スタッフT。

 いつでも笑顔でテンション高く入居者をノセるのが得意なY。

 親身になって入居者の話を聞き、細かい問題を丁寧に解決するN。

 淡々とした語り口で違和感なく入居者と溶け込むT。

 困った表情をした認知症高齢者のもとに自然と足を向け、対峙した瞬間に表情を和らげ一瞬で安心感を与えてしまうS。

 ホワイトボードを使ったレクリエーションでかつて培った知識や教養を喚起するO。

他にもたくさんのスタッフが日々入居者に関わり、(関わらなければ枯れてしまう)能力を引き出しています。





 特別養護老人ホームなど、大型施設では関わりが希薄、とよく言われます。確かに忙しく動き回っている中で、「手持ち無沙汰でただ座っているだけ」状態にさせている入居者も少なからずいます。ただ、関わりの要素というのは時間の長さだけを言うのではない、とも思っています。きちんと自分に興味を持ち続けてくれている、と感じることができれば、関わる機会が少なくても(時間が短くても)、深い満足感を得ることはできます。

 目配せ一つで救われる命だってある。

 私はそう思っています。


 自然界の土の中には微生物がたくさんいて、その小さな生き物たちが豊かな生命を育む土壌を作っています。一見するだけでは気づきにくい、ちょっとした心配りの蓄積が、人を育て、温かい現場を生むのだと思います。「闘わない介護」「全ての入居者・スタッフが自然体でいられる現場(生活の場)」を目指して、これからも頑張りたいと思います。






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