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介護の森で見つけた光B 『ピダハン私論―異文化交流としての認知症介護―』 

中川 春彦
 どんな本でもそうだと思いますが、自分の人生を下敷きにしない本の読み方というのは難しいと思います。

 どれだけ前評判がよくても自分と合わなければ読むことさえできない。逆にベストセラーの本でなくとも、自分にとって優れた文学やノンフィクション作品であれば、その物語の中に自分の人生とは切り離せない何かを(自分の人生に肉薄してくる何かを)見出してしまうものです。

 そして、そういう作品は時にその人の生き方にも作用します。


『ピダハン―「言語本能」を超える文化と世界観―』(みすず書房)を読みました。

著者のダニエル・L・エヴェレットは言語学者でキリスト教福音派の伝道師。一方の私は認知症になった祖母の介護を7年間続けて自宅で看取り、その後9年近く特別養護老人ホームで介護をしている介護職。

立場は全く異なりますが、共通する何かを私は感じました。
私は『ピダハン』を、勉強好きでまじめな(時にまじめすぎる)介護職が、認知症介護の世界に出会い、様々な壁にぶつかりながらも介護に対する理解を徐々に深め、やがて介護する・されるの関係を超えて、一つの理想的な関係を築くことに成功した物語として読みました。

 本を読んでいない人のために、簡単に解説を加えながら、私がなぜ『ピダハン』をそのように読み得たのかを述べてみたいと思います。

 
ブラジル・アマゾンの奥地に流れるマイシ川。言葉では言い尽くせないほど美しいと言われるその川の流域に住む400人にも満たない少数民族「ピダハン」。
ダニエル・エヴェレットは1977年から30年以上に渡って、世界に類を見ないという、唯一にして特異なピダハンの言語と文化を研究してきた言語学者。
『ピダハン』は彼のピダハン研究の成果であり、彼の半生を綴った自伝の本でもあります。
 言語学者でありキリスト教の伝道師でもある著者は、「ピダハンにイエス(キリスト)の話をするために、ここに来た」と告白しています。そして、聖書は文字どおり神の言葉であるという信念を持っており、聖書をピダハン語に翻訳することが、先住民を感化する最良の方法であると信じていたとも書いています。

 「離陸準備を待ちながらわたしは一心にピダハンのことを考えていた。これからわたしがともに暮らすことになるアマゾンの一部族。わたしは何をすればいいのか。どうふるまえばいいのだろう。わたしを見てピダハンの人たちはどういう反応を示すのか。わたし自身の反応はどうなのか。自分とはいろいろな意味で違う人たちと出会うことになる――違っているところを、ある程度は予測できるけれども、想像もつかない部分もあった。じつのところ、空を飛んでいくのは、ただ会いにいくためではなかった。伝道師として赴くのだ。経費と給料がアメリカの福音派教会から払われる。だからわたしは、わたしが信じている神を崇め、キリスト教の神を信仰することにともなう倫理や文化を受け入れるように、「ピダハンの心を変える」ことに専念するのだ。わたしはピダハンについて何ひとつ知らなかったけれども、きっとできるし、変えなければならないと思っていた。」

ビジョンを明確に描き、目的と情熱を持って、ミッション(使命)に当たる。
 大きな仕事を成し遂げるためには欠かせないと言われる要素を満たした上で、著者はピダハンの村に上陸します。
 けれど、ミッション達成までの道のりは険しく遠く、永遠とも思わせるほどの苦難の連続。
 「おれたちはもうおまえからイエスの話を聞きたくない」そうピダハンの人たちに宣告されて、ここに自分がいる意味を見失ってしまうことも。
 一方で、ピダハンはいつでも笑顔と自信に満ち溢れ、幸福感がみなぎっていました。
 「何かが間違っている」そう思わざるを得ませんでした。
自分自身の信仰が揺らぎながらも、それでも著者はあきらめず、数年がかりで必死にピダハンの言語と文化の理解に努め、ピダハン数名の協力を得ながら、聖書の翻訳にも着手しました。
けれど、ミッションを達成不可能にする決定的な事態が起こります。

何がわたしの使命を難しくしているのか、わたしにも少しずつ明らかになりかけていた。キリスト教の信仰についてはおおむね正しく伝えられていた。わたしの話に耳を傾けた者たちは、ヒソー(イエス)という名の男がいて、彼はほかの者たちに、自分が言ったとおりにふるまわせたがっていると理解していた。
次にピダハンが訊いてくるのは、「おい、ダン(著者のこと)。イエスはどんな容貌だ?おれたちのように肌が黒いのか。おまえたちのように白いのか」
わたしは答える。「いや、実際に見たことはないんだ。ずっと昔に生きていた人なんだ。でも、彼の言葉はもっている」
「なあ、ダン。その男を見たことも聞いたこともないのなら、どうしてそいつの言葉をもっているんだ?」


そして、こう続きます。


みんなは、もしわたしがその男を実際に見た(比喩的な意味ではなく、文字どおりにこの目で見るという意味で)ことがないのなら、その男についてわたしが語るどんな話にも興味はない、と宣言する。その理由は、いまならわたしにもわかるが、ピダハンは自分たちが実際に見るものしか信じないからだ。

やがて著者はピダハンとの生活を継続するために自分自身の神を捨て、無神論者へと逆に導かれていくのでした。そして、そこから真にピダハン社会に受け入れられていく――。異文化交流の一つの理想形がここにあるように私には思えました。
その後も、ピダハンに(誤解を受けて)殺されそうになったり、油断していると物を盗られたり、川の中で一人で出産する妊婦が難産で助けを求めても周りのピダハンが見殺しにするのを目の当たりにしたり、ピダハンの10代の若者が近隣の部族の人を(ブラジル人行商人が自分たちの利益のためにそそのかしてのことではあるけれど)殺してしまうケースを知ったり。決していいことばかりではないけれど、世界でも有数の幸福の民ピダハンとともにあることを選び、そのことに誇りを感じ、奮闘を続けています。
 
 著者の30年にも渡るピダハン研究は、最初に掲げていた目的とは全く異なる地点に着地することになりました。けれど、それが悲しい結果になったのかと問われれば、著者はNOときっと答えるでしょう。
予想もしていなかった地点に連れて行かれる、これは人生の醍醐味です。決していいことばかりではないけれど、悪いことばかりでもない。


私の介護人生も(まだまだ途中ではありますが)まさにそんな感じでした。
訳が分からないながらも(世界一かわいいと思っていた)祖母の介護を続け、福祉や介護の勉強をする中で逆に介護の意味を見失い、三好春樹さんの著書に衝撃を受けて介護の意味を取り戻し、三好さんの著書を片手に右へ左へと奔走するも、なぜだか上手くいかなかった毎日。それでも介護の意味を問い続け、今現在の自分がいる。
認知症高齢者の世界は本当に豊かだ。一人ひとりの個性による違いが際立っていて、しかも一筋縄ではいかないやっかいな人ばかり。自分の世界の中の正しさの中で生きていて、自分の世界こそが正しいと信じて疑わない。
当然それによって様々なトラブルが生じてくる。それでも、どうにかこうにか折り合いをつけながら、何かのきっかけを得て(どちらか、あるいは両方が歩み寄って)、少し大げさに言えば生きる意味を再び取り戻す。そして、また舌の根が乾かない内にトラブルを起こす……。

結局はお互いさまなのだ。介護する・されるの意識しかなければ、する側もされる側もともに不幸だ。何が正しくて、何が正しくないのか、大切なのはそこじゃない。相手がそれを正しいというのなら、自分の中の正しさを一旦脇に置く。それが異文化交流としての認知症高齢者との関わりにおける一つの作法なのではないか。
そんなことを『ピダハン』を読み終えて考えたのでした。



目線を少しずらしてラヴィータ・ウーノの介護実践を見てみます。
最近取り組んでいるのは、月に1回十数名が参加して行われる認知症勉強会。
私たちは認知症高齢者の世界を完全に理解することはできません。その人がなぜそんなことを言うのか・やるのかの背景はその人自身も把握しきれないくらい複雑で、しかも(原因を探そうと思えば)ほとんど無限に理由が存在するから。認知症という病気が解明されなければ関わりようがないなんて言っていたら、その人が死ぬまで関わりを放棄することになってしまいます。
私たちはその人を理解しようとする努力をやめようとはしません。いくら時系列に細かく生活歴を調べたところで、その人の人生そのものが理解できるわけではないとつっこみを入れられても、家族関係や嗜好品、1日の気分の変化やその時々の発言内容、患っている病気や服用している薬の副作用を調べても、結局生活は大して変わらなかったりしても、私たちはその人を知る努力を決してやめません。
関心が途絶えたその時に、関係が途切れることを私たちは知っているから。
分からないながらも、大勢でワーワー言いながら、時に言い合いをしながら、今日も私たちは高齢者(認知症がある人もない人も)に関わり介護を楽しんでいます。

最新の○○理論には目もくれず、ただ目の前にいる人を大切にする。実際に見たものしか信じないけれど、目に見える(見えやすい)ものだけを信じるのではなく、一見不可思議に思えるその人の世界の中の正しさにじっと目を凝らす。ピダハンの生き方と『ピダハン』の著者の目線の先に、介護の本質を見た思いがしました。
『ピダハン』を読む機会を与えて下さった三好春樹さんに心から感謝します。ありがとうございました。




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