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私の8年間

中川 春彦
振り返るたびに自分の過去が書き換えられているのを感じます。

苦労ばっかりの人生だと思っていたのが、そうでもないな、と。

「今までの取り組み」をこのような形で文章にまとめることはこれまでにも何度かありました。その時の状況はよかったり悪かったり色々でしたが、確実に自分の中に積み重なっているものがある、というのを感じています。


私が介護を始めるきっかけを作ってくれたのは私の祖母。それは何度も書きました。私の寝室の隣の部屋には、祖母の写真と祖父の写真が仲良さそうに二つ並んで飾られています。毎朝起きて最初にするのは二人の写真に「おはようございます。いつもありがとうございます。今日もよろしくお願いします。」と挨拶をすること。

かつて私は二人の写真をまじまじと見るようなことはありませんでした。まして写真に向かって挨拶をするようなことは決してしませんでした。何が私をそんな風に変えたのか?ふと疑問に思うことがあります。

                

この8年色々なことがありました。最初のうちは辛いことや苦しいことばかりでした。楽しいと思える瞬間ももちろんありましたが、こんな環境でいい介護なんてできるわけがない、と愚痴や泣き言を心の中に押し殺して仕舞い込み、爆発しそうになるのを何とか堪えている、そんな状況の方がずっと多かったように思います。


今、私は介護が楽しい。

お年寄りによってはうまく関われない人もいるし、スタッフとぶつかることも少なからずあります。それによって一時的にストレスがたまることは今でもあります。でも、支えてくれる人たちがいて、その人たちの力でまた心の中に楽しさが満ちてくる。そんな状況の中に今いるということが、かつての私には想像すらできませんでした。

周りの人間に恵まれる、これ以上の幸せはないんじゃないかと思います。この人のおかげで気持ちよく働くことができている、そう思える人がだんだんだんだん増えてきました。そういう人には本当に頭が上がらない。上の立場の人、下の立場の人、そんなものは関係なく頭が上がらない人がたくさんいます。

そういう人たちと介護ができる喜び。

あるお年寄りのかわいらしさを共有し、別のお年寄りの憎たらしさを共有する。共有できることが喜びに繋がり、大変なはずの介護が楽しさに変わる原動力になる、そんな風に感じられるようになりました。

介護を通して成長させてもらった。介護じゃなければ成長できなかった。そんな思いが祖母と祖父の写真に目を向けさせ、挨拶をさせるのかもしれません。


本題に入ります。8年間を振り返るのに、今回は、「影響を受けた言葉」をキーワードにして話を展開してみたいと思います。6名の介護の賢人に登場を願おうと思います。

まずは、介護界のカリスマ、三好春樹さんの言葉。
「その人のその老いを無意識が肯定しているかどうかが問われている。」
これはお年寄りとの関わり(特に深い認知症の高齢者との関わり)について、講演の時に語っておられた言葉です。その時探していた言葉を明快な言葉で語ってみせた三好さんのことを「さすが!」と思ったのを覚えています。と同時にこの時の三好さんの話で私は救われた思いがしました。

というのも、無意識が肯定しているかどうかというのは、意識して関わり方を変えたり、まして我慢して優しく接したりという方法論が通じないということであり、ある意味「どうしようもない」ということだから。

よく「(難しいと言われているお年寄りと)うまく関われているなぁ」と思うスタッフから聞かれるのは「だって私嫌いじゃないもん」という言葉。
好きな人との関わりは気を使わなくていい、だからこそ関わりが自然で、そんな関わりこそがお年寄りの心に届くのだと思います。逆に気を使い、よそよそしさのある不自然な関わりは、お年寄り、特に認知症の高齢者にとっては、防衛本能を呼び覚まし、心に壁を作らせ、心を波立たせる原因になるような気がしています。

正義の味方になって一人で全てを背負い込むのではなく(そういう気概は必要かもしれませんが)、良好なチーム作りをして、相性を大切にしながら、結果お年寄り一人ひとりを大切にする、そういった支援の方向性をとった方がはるかに健全でよい結果を生む、というのを私は三好さんから学んだ気がしています。


次に紹介するのは、青山幸広さんの言葉。
「形だけうまい(介助をする)人はたくさんいる。でもほとんど年寄りがいい顔をしてないんだよ。」

介護技術の魔術師と称される青山さん。全国各地でセミナーを開催し、NHKでも講座を放映されるまでになったその技術。大学の教授みたいな人がその高い技術の秘密を探ろうと、研究の対象にまでなっているみたいですが、実際に青山さんに何度も介助されていると、どれだけ技術が解明されようとも、頭で考えただけではそれを再現することはできないことが分かります。

青山さんは少林寺拳法を長らくしていました。私も合氣道の稽古期間が少しずつ長くなってきましたが、武道において「力が抜けている=柔かい」ということがいかに大切かというのを日々感じています。

「力が入っている=固い」状態では、相手の微妙な動き(ゆらぎ)に合わせることができず、自分の思い通りに相手を動かそうとする作用が強く働きます。「こうしたい」「こうしなければいけない」という固定観念が強くあり、それに合わないことが発生すると相手の動きを殺してでも目標を達成しようとしてしまいます。

よく介護スタッフがこんなことを言っている場面に遭遇します。
「もう!ちゃんと動いてくれないと危ないでしょ!」
これなんかは、「自分としてはこういう風に介助すればきちんと移乗できるはずだったのに、あなたが私の思い通りに動かなかったがために、危ない思いをあなたはした。(私もした。)しっかりしてよね。」という思いがその裏側にあるのだと思います。

足が上手に一歩踏み出せなかったり、体が傾いたり、膝折れしたりして急に体勢が崩れたりするということが想定されていなかったために(想定していてもそのリスクを低く見積もったがために)、移乗途中で何か不測の事態が生じた時に、元々描いていたラインに強引に引き戻す介助が発生してしまう。

お年寄りとしては、体が思うように動かない上に、そのことを叱られているようでやるせない気持ちになるのではないかと考えてしまいます。
「柔かい」というのは、「考え方を固定しない」ということだと思います。相手の状況に合わせて自由に自分の体と心の状態を合わせられる。相手と一体になることで、一緒に動くようにして相手の心と体を動かすことができる。だから無理がない。その上で適切なポイントで支えてもらうことができれば気持ちよさが生まれてくる。安心感が生まれ、安心感からよい表情が生まれる。

介護技術とは、ある物体をA地点からB地点に楽に運ぶ技術のことを言うのではなく、介助される人の心と体の微妙なゆらぎを感じられる感性を備えた、安心感を与える技術なんだということを私は青山さんから学びました。


次に紹介するのは、村瀬孝生さんの言葉。
「精神論だけでは現場は変わらない。まずは物理的環境を整える必要がある。」
村瀬さんは特養で8年働き、その後「第2宅老所よりあい」で所長を長らく務めている方ですが、この言葉は特養で働いていた時に感じた、という言葉です。
生活相談員をしていた頃、介護スタッフにアンケートを取ったという村瀬さん。

「介護の仕事の何に喜びを感じ、何に不満を感じているのか」
多くのスタッフからの回答で、「介護職の多くはお年寄りとゆっくり関わりたいと思っている」ということを感じた村瀬さん。そんなスタッフに対して「丁寧に関わりなさい、丁寧な言葉遣いをしなさい」と言ったところで、よい結果は生まれないと考えました。

当時の特養は(今でもたくさんあるとは思いますが)今よりはるかに効率主義的で、流れ作業的なケアが当たり前に展開されていました。午後の2時間で30人の入浴介助をしなければいけない、という状況では精神論をいくらぶったところで、流れ作業的なケアは決して解消されないし、何より介護スタッフに対して酷であると感じた村瀬さんは、一人の入浴にどれだけの時間をかけられれば(それなりに)ゆったりと入浴介助ができるのか、というところから施設改革に着手しました。

必要な介助量に合わせて介助者(人員)を配置していく(あるいは(それ以上配置できない場合は)配置できる介助者(人員)に合わせて介助量を調整していく)という視点に私は大いに影響を受けたし、ラヴィータの施設改革にも欠かせない要素であったと思っています。

もちろん経営を考えた時、人員配置を無制限に厚くできるわけではないし、一人に多くの時間をかければ他の人にそれだけしわ寄せがいくわけですが、むちゃくちゃな物理的環境をそのまま放置しないという視点はとても大切だと思っています。
人員配置を初め、適切な物理的環境が整ってくるだけで、よい介護が展開されてくるというのをこの8年間で実感しました。施設を取り巻く環境は日々変化していくので、今後は現在のケアレベルを維持していくために、環境を調整し続ける視点が重要になってくるのだと感じています。


次は、中迎聡子さんの言葉。
「スタッフも個別ケアが必要。」
中迎さんは村瀬さん同様、九州で宅老所をしている方ですが、中迎さんも特養での勤務経験があります。宅老所を始めて数年経った頃気づいた、というのがこの視点だと語っていました。特養で働いていた頃はそんなことは考えられなかったとも。

お年寄りの個別ケアは多くの人が声高に叫んでいますが、本当にお年寄りの個別ケアに取り組もうと思ったら、スタッフに対する個別ケアが欠かせないと気づいた、と。
様々な問題を抱えているのは何もお年寄りだけではなく、働いているスタッフも実に様々な問題を抱えています。それを放置したままで、あるべき介護論を強要してもうまくいかない。逆に、スタッフの個性を尊重して、悩みを共有して、問題解決に一緒に取り組む姿勢が生まれてくると、スタッフが自分の考えていた以上の働きをしてくれるようになり、結果的にそのことがお年寄りの個別ケアにも最大限貢献することになる。そういうことに気づいた、ということを語っておられました。

話をしている姿勢から「この人の思い、この人の感受性は本物だ」というのを感じたのと同時に、お年寄りの幸せを実現するために突き詰めて考えるとそうなるのか、というのを驚きとともに学ばせてもらったのを思い出します。

リーダーとして人を動かす、というのを考える時、ただ単にものを教えるのではなく、その人の立場にどれだけ立てるのかという視点は本当に大切だと思います。まだまだ気持ちよく人が動き出す起爆剤になれていない自分がもどかしいところですが、さまざまな人生経験を通して少しでもそんな存在に近づいていけたらと感じています。


5人目は、石井英寿さんの行動から感じた言葉。
「よい介護はよい人間性から生まれる。」
宅老所「いしいさん家」の石井さんも特養ではないですが老健での経験があります。石井さんは「いしいさん家」のホームページで設立の理念を語っていますが、最後にこんなことを書いています。

「大規模施設での介護に疑問を持ち、宅老所を立ち上げた私ですが、今の私があるのは以前働いていた職場があったからこそ。以前の職場に感謝しています。」と。
恨みつらみを重ねて、大規模施設へのアンチテーゼとして小規模施設を立ち上げる人はたくさんいます。けれど大規模施設の中にあっても介護に楽しみを見出せる視点が全くないのであれば、小規模施設を作っても結局は楽しみを作り出すことは難しいのではないかと思います。

石井さんはこんなことを言っています。
「老健時代、モヤモヤしながら働いていましたが、ある時から、同じ仕事をするんだったら目の前のジジババを笑かしてやろうと思い、レクの時間のカラオケなんかも利用者に歌わせず、サブちゃんのモノマネをしたり、朝食時に海苔を前歯につけたり。すると、みんなゲラゲラ。普段あまり笑わないばあちゃんも笑ってくれたりして。それは嬉しかった。幸せを感じましたね。自分も楽しんで。常にそういった意識を持ちながらやってました。
周りのスタッフからは「そんなことしている場合じゃないでしょ!」と、怒られてばっかりでしたよ。でも、楽しかった。」

いしいさん家に見学に行った時、とても親切にして下さり、すぐにファンになってしまった私ですが、どんな環境にあっても人を大切にすることを忘れず、自分自身が楽しむことも忘れない、そんな強さと温かい人間性に惹かれたのだと今にして思います。
目の前にいるジジババに集中できるかどうかが常に問われている、そのことを忘れないでおこうと思います。


最後に、近くの巨人、我らが副施設長、野口香代さんの言葉。
「(よい介護現場とそうでない介護現場を分けるものは…)入居者の側(そば)にスタッフがいるかどうかだね。」

この言葉を聞いてから、私の介護観の中心には常にこの考え方があります。
入居者の近くにスタッフがいるためには、人員配置が薄すぎると到底実現できない。
入居者の近くにスタッフがいるためには、スタッフがその入居者のことが好きでなければ実現できない。

入居者の近くにスタッフがいるためには、その入居者のことを楽しませたいという気持ちがなければ実現できない。

入居者の近くにスタッフがいるためには、その入居者からスタッフが好かれていないと実現できない。そのためには、お年寄りに安心感を与えられないといけない。
入居者の近くにスタッフがいるためには、スタッフ間で共有できる価値観がないと実現できない。あのスタッフは動かない、あのスタッフは淡々と仕事をこなすだけ、そんな思いが満ちている、張り詰めた空気が流れる空間では、入居者とスタッフが自然な形で触れ合える温かい現場なんて決して生まれはしない。

様々な賢人の言葉がこの言葉に集約されていく――。
それだけにこの言葉には深みがあると常に感じています。
スタッフだけが楽しむ現場ではなく、年寄りのために自分のことを犠牲にしすぎるのでもなく、スタッフとお年寄りが「一緒に生活している」という感覚をどれだけ養うことができるのかが問われているのだと思います。


様々な言葉に出会いながら、自分自身の介護観が少しずつではありますが、育ってきているのを感じます。それでも、考えていることと実践できることはまた別の話。
何事も率先してやることをいとわず、周りの人の苦労をねぎらうことを忘れない。そうして、いつか先に紹介した賢人たちのような存在に私自身がなれるように、更なる研鑽を積んでいきたいと思います。


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